ユニオン教会(ポカンティコ・ヒルズ・ユニオンチャーチ)はマンハッタンから車で1時間くらい北上したところ、ハドソン川沿いの町スリーピーホロウの緑豊かなポカンティコ丘にたたずむ小さな教会です。
当ページでは、世界一の富豪邸宅とシャガールのユニオン教会観光ツアーで訪れるユニオン教会について解説しています。ユニオン教会にあるシャガールのステンドグラスは、通常撮影不可ですが、ガイドが特別に許可を得て撮影した写真をページ下部に掲載しています。
ポカンティコ・ヒルズに位置するユニオン教会のステンドグラス窓は現代芸術の巨匠、アンリ・マティス(1869-1954)とマルク・シャガール(1887-1985)の独特な視点を展示しています。これらの作品は、教会の創立メンバーでもあるロックフェラー家族による依頼で作成したものであると同時に、シャガールにとってアメリカ国内教会での唯一のステンドグラス窓の作品です。
作成者の1人でもあるマティスは、1929年にニューヨーク近代美術館(MoMA)を創立、彼はユニオン教会会員の一員であったアビー・アルドリッチ・ロックフェラー(1874-1948)を記念するためにモマを作ったと言われています。 また、教会の正面に作られた代表的な作品「薔薇の窓」(Rose Window)は、マティスが亡くなる2日前に完成し、彼にとって人生で最期の作品となりました。
教会後方の壁にある大きなステンドグラス窓は、アビー・ロックフェラーの夫、ジョン・ロックフェラー2世(1874-1960)を記念するために、マルク・シャガールによって作成されました。このステンドグラス窓は『ルカによる複音書』の一節『良きマリア人』という寓話から影響を受けています。 ジョン・ロックフェラー2世の家族がこの一節を選んだ理由は、ジョン・ロックフェラー2世の生き方がまさに、この寓話のテーマ「隣人を愛せよ」と瓜二つだったからです。 ガラスの選定や加工、最後の仕上げにはガラスに直接絵を描き、彫刻をしたりと、ステンドグラスの隅々まで手を施した彼の作品は非常に素晴らしいものです。
側面にある8つのステンドグラス窓はシャガールによって1966年に作成されました。その内の1つであるキリストの言葉「尋ねよ、さらば見出さん」はネルソン・ロックフェラーの息子、人類学探検の途中で死去してしまったマイケル・ロックフェラー(1938-1961)を記念するために創られたものです。 残りのステンドグラス窓は、『創世記』の一節と、6人の預言者に関する本から選抜した詩編が描かれています。
「薔薇の窓」(Rose Window)はマティスの長い芸術生涯の最後の代表作です。マティスは切り絵の要領で、自由で抽象的な形を均等に取れた窓枠の装飾模様を上品にかみ合わせて配置し、複雑なデザインを創りました。 彼はこの作品を「決められた、限られた空間内で自分を表現し、その構図を周りと調和させるには窓の組枠みだけではなく礼拝堂の全体の雰囲気をも考慮しなくてはならない」 と記するほど、彼にとって非常に満足のいく挑戦となりました。
マティスはこの「薔薇の窓」(Rose Window)の制作において、光の透け方には何も手を加えず、半透明もしくは不透明のガラスに強い純枠色のみ使用し作品を仕上げました。 一方シャガールは、キャンパスと顔料のかわりに光と色彩のみ使用し絵画を描きました。彼らはまったく対照的な技法で礼拝堂のステンドグラス窓を作り上げたのです。
マティスと同様にシャガールもまた色付づけられたガラスを使用しています。但し、彼はガラスを酸でエッチングし、1つ1つのガラスの色にグラデーションを付けていきます。一旦ガラスが組み立てられたら、シャガールはまるでキャンパスを描くようにその上から絵を描きました。グリサイユと呼ばれる黒色のガラス塗料を用い、細かい図案を造り入ってくる光を和らげました。シャガールはグリサイユの調節や工夫にブラシだけではなく、その柄の部分、金属器具、更には自身の指等を使用。最後の仕上げに、イエローシルバーの着色剤を塗り、窓の色の最終的なきらめきを持たせた素晴らしい作品となっています。
ロックフェラーのお膝元は、ウエストチェスターというニューヨーク近郊ではきっての高級住宅街です。クリントン元大統領邸宅などニューヨークのエグゼクティブの邸宅が立ち並んでいます。また、慶應義塾大学付属のニューヨーク高校や、IBMやペプシコといった大企業の本社などもここにはあります。(地図)
スリーピーホーロウ(Sleepy Hollow),NY–
ロックフェラー4世代の家までを言います。この家の特徴は、6階建ての石造家屋に、テラスガーデン、世界的に名の通った絵描や彫刻、そしてハドソン川(Hudson River)を一望できる眺めです。
ブロンクス(The Bronx),NY–
ニューヨークの北部ブロンクス区にある霊園です。霊園と言っても、芝が青々とし、ピクニックでもできそうな広大な公園のようです。ここには、アメリカの歴史に残る著名人が数多く眠っており、その中には野口英世と高峰譲吉もいます。NY元市長ラガーディア、ジャーナリストの神様ピューリッツァー、白鯨の小説家メルヴィル、ディスカウントストアー始祖ウールワース、ジャズの巨匠マイルス・デイヴィスやデューク・エリントンなど枚挙に暇がありません。
タリータウン(Terrytown),NY–
アメリカで最も有名な作家の暮らしの詳細を是非ご覧ください。19世紀半ば、彼はこの魅力的で、ロマンチックな川岸のコテージに住んでいました。
スリーピーホーロウ(Sleepy Hollow),NY–
この町は1750年、52,000エーカーの商業帝国の中心でした。製粉、貿易から成り立っていたこの場所は、北植民地の制度について学ぶことができます。
クロトン=オン=ハドソン(Croton-On-Hudson),NY–
ヴァン・コートランド荘園に訪れてみて下さい。クロトン川(Croton River)の土手に位置しており、パトリオット一家(Patriot Family)の新生国家時代(1780-1820年)における日々の生活について学ぶことができます。