ニューヨークは海と川の最良の地理的条件があったから繁栄したといえます。時は大航海時代、船の時代ですから海運業の良港として、ニューヨーク港は経済的繁栄を支える屋台骨となりました。港湾での労働力の需要の増加(移民をPull受け入れる要素)と、ヨーロッパでの飢饉や政変(移民をpush押し出す要素)の相互需給効果でニューヨークへの移住者は倍々に伸張します。人口の増加に伴い、ニューヨークの街は南から北へ歴史とともに開拓されていきます。同時に南端にあった街の中心地も北へ北へと北上し、20世紀初頭に、現在のロックフェラーセンターの辺りまで移動しました。主要産業も時代とともに移り変わります。毛皮・木材・衣料などの輸出がアメリカ産業革命以前の中心産業でした。しかし産業革命後に生まれた鉄鋼・石油・電気などの新しい技術、保険・銀行などの金融業、通信・出版・広告・弁護士などのサービス業が、ともに経済の主軸を担いニューヨーク、ひいてはアメリカを牽引していきます。同時にアメリカはイギリスを追い抜き20世紀初頭には世界最大の産業国となりました。もとはインディアンしかいなかったこの広大な土地に、藁をもすがる想いで貧しい移民が移り住み、労働に励み、開拓し、発明し、人々を先導し、充分な労働力・資源・資本で大帝国(エンパイアー・ステート:ニューヨーク州の別称)を築き上げたのです。ニューヨークは、ヨーロッパや中南米からの移民者が、その第一歩のとして踏みしめたアメリカの玄関口でした。
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2万年前の氷河時代は、北は北極海からカナダ、西はシアトル、東はちょうどニューヨークのスタッテン島・ロングアイランドのラインまで、氷にすっぽり覆われていました。1万7千年ほど前から、氷河は溶けはじめて、ハドソン川を滑り落ち、マンハッタンも氷で洗われて陸が姿を現しました。現在でもセントラルパークでは氷河に洗われたツルツルの岩盤が見られます。マンハッタン島は2つの片岩がくっついた一枚岩の島です(そのためか地震があまり起こらないといわれています)。 |
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ニューヨークは黎明期から今日まで、他民族が共存して暮らしてきました |
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それぞれの民族や人種は、アメリカに溶け込む者もいれば、頑なに自身の文化を堅持し、各々のコミュニティー(街や文化)に帰属してきた民族・宗教の人たちもいます |
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例えば、日本人でも英語を一言も話さなくても日本にいるのと同じように暮らせるのがニューヨークです |
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ですから中国人、韓国人、ドイツ人、イタリア人、ユダヤ人、アイルランド人、インド人、アフリカ人、ロシア人、ポーランド人、モロッコ人等の民族は、独立した自分達の街を持っているんですよ |
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このような人種・民族が織り成すさまざまな糸が、さらに解れ合い紡ぎ合わされてニューヨーク市民という織物を織り成しています |
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移住民者のニューヨーク上陸数は、多いときに一日2000人を越えています。東京に一日2000人のヨーロッパ人が毎日移り住んでくることを想像してみてください |
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簡単に想像してみましょう。現在の東京に、世界191カ国、各国から2万人づつを一緒に詰め込んだとします。そうすると東京版ニューヨークができあがります。どのような街になるのでしょう?様々な人たちが様々な色を発光する場所。「世界の縮図」とはそういう意味なのでしょうね。 |
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ニューヨークはそんな新しいものや変化を受け入れたり対応する大きな歴史的土壌があります |
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だからこそ、様々な価値観が混在し、新しい文化や流行が生み出されてきました |
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ニューヨークでビジネスが成功したら何処ででもやれる、とよくいわれます。それだけニューヨークのビジネスは流れが早く、したたかで、厳しいものです |
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したがって人々の関心事の1つはお金といっても過言ではありません。悲しいかな、ニューヨークでは、お金が1つの価値基準にさえ値します |
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しかしながら、この風潮は良い方向でも社会に作用しました。ニューヨークは他の州に比べ、人種差別が最も穏やかな土地でした。つまるところ、黒人や女性、貧困者を差別する以前に、労働力(奴隷という枠を超えて)として採用しなければならない需要があり、黒人でも女性でも自分のビジネスに参加・起業できました。開拓時からビジネスが最優先の土地柄なのです
植民地時代のニューヨークの奴隷制(E)>> 植民地時代のニューヨークの女性史(E)>> |
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人口の増加は、街を南から北に発展させました。同時に地価も高騰し、建物は高層化することになりました。20世紀初頭から建造物の高層化が始まります。それまでのヨーロッパの豪華志向から、技術と資本を競い合うバベルの塔建立競争が始まります |